カトリック江ノ口教会メッセージ

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CM消去用書き込み

CM消去用書き込みです

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あしあと

ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
一つはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとだった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
 「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
 わたしと語り合ってくださると約束されました。
 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
 わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。
 「わたしの大切な子よ。
 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
 ましてや、苦しみや試みの時に。
 あしあとがひとつだったとき、
 わたしはあなたを背負って歩いていた。」


                        マーガレット・F・パワーズ 作
                                松代恵美 訳
                    太平洋放送協会発行 「あしあと」より

ROZARIO2[1]

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クリスマスメッセージ

「やがて来られるお方は」

やがて来られる方は「幼子」の姿をしておられる

この幼子は十字架が似合う

和解と絆のために、神が先に手を差しのべる。

私たちこそ頭を下げ、胸を打たねばならなかったのに、

神が先に、わたした地の足下に膝をかがめられた。

十字架は神から送られた「神の僕」のすがた

私たちはその十字架の前で言葉を失う

私たちは十字架の前で自らの誇りを失い、

人は互いに仕え合うことを学ぶ

「私は仕えるためにきた」と、

飼い葉桶に寝かされた幼子はささやく。

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11月・・「死者の月」に思う

死について考える時、しばしば私たちは、死んだ後どうなるのかと考えます。 けれども、後に残された人々がどうなるのかと言うことについて考えるほうが、もっと重要だと思います。
私たちが何を残して、どのように死ぬかは後に残って生き続ける人々に深い大きな影響を残します。 
私たちが死ぬとき、人生の途上で私たちが手にしたもの一切が失われます・・愛以外は・・愛は残ります。
日本の殉教者たちが残したものは、信仰、愛、希望に生きる姿でした。
愛は残るばかりではなく、いく代にもわたって実を結び続けます。
死ぬときが来たら、後の残される人々に次のように言いたいと思います。
「思い悩まないで。私の心を満たしていた神の愛があなたの心にも宿り、あなたを活かし続けてくれるでしょう。ありがとう」。
恨み辛みに満ちた心持ちで死を迎えるよりは、感謝に満ちた心で、別れを告げるなら、後に残された人々が 愛を活かし続けてくれるでしょう。

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今日の出来事



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